日本むかしSEX

処女の価値

少女を女にするために?村の代表者が処女膜を開通。

“結婚まではきれいな体で”という考えは明治以降のこと。 それまでは、処女は逆に敬遠されていたという。 日本の村社会では、若者の盛んな性欲をコントロールする意味もあってか、未婚の男女の自由な性交渉が暗黙に認められていた。

女性は12~13歳になると“成女式”か行われ、特定の老人や若者頭が、生娘を女にする役割を担っていた。 というのも未婚の女性は村のみんなのもの、との考えがあったらしく、代表者が最初にセックスをし、女性を“使用可能な体”にしていったのだ。 この風習は明治に西洋から処女崇拝思想か入り、消滅していった。

夜這い

深夜に繰り広げられていた恋人たちの王道のスタイル。

大正時代くらいまで、恋人同士が愛を育む方法として主流だったのが“夜這い”。 男がしたい時に、二人の秘密の場所に小石を置き、しばし後に石が2つになっていたら「OK、待ってるわ」のサインとするなど、ニ人で決め事を作り約束をしていた。

時には、男の気持ちを女に伝える橋渡し役もいて、夜這いは男女をつなぐシステムとして成り立っていた。 二人はいつ、どこでするのかというと、家族が寝静まった夜中の0~3時頃に男が女の家に現れゴソゴソとエッチをし始める。 昔はあまり前戯などしないので、ちょこっとやって男は退散、が常だった。

大奥の性具

城への訪問販売で購入!種類豊富でよりどりみどり。

江戸時代、多くの女性をはべらせて、好き放題にセックスをしていたのが将軍様。 しかし、大奥の女性たちは、自分の出番がそうたくさん回ってくるわけではないので、慢性欲求不満状態に触っていた。 そこで、同性愛やオナニーが盛んに行われていたという。

今でいうアダルトショップとして有名な「四ツ目屋」では大人のオモチャなども扱い、城へ売りに来ていた。 太さの違うひとりエッチ用や、左右で同時に使えるレズビアン用など種類も豊富。 嫉妬やイジメか激しい大奥では、性具の力を借りてでも性的に満たされないとやっていられなかったのかも。

江戸時代のラブホ

情事の場として華やいだ茶屋。江戸は現代より自由恋愛!?

江戸を中心とした都市部では、エッチを楽しむ場が充実していた。 その代表的なのが「出合茶屋」。 今でいうラブホテル的な存在で、恋人同士、不倫、行きずりの恋など、男女が情事を重ねる、逢引専門の茶屋として利用されていた。

また、浮世草子「好色一代男」には、尼寺が出合茶屋として使われていたシーンもあり、女性が男をこっそり連れ込んでいた話が描かれている。 他にも、妻が夫の目を盗んで、板の間の下や風呂場などで愛人と励んでいたなど、セックス好きの女性の話は多く残っている。 江戸の人々は愛欲のままに生さていたみたい?

昔の性器の呼び方

【女性器名】 よみがな 書籍
富登 (ほと) 『古事記』
御陰 (みほと) 『日本書記』
久保 『新撰字鏡』
陰、玉門 『和名類聚抄』
(つぴ) 『今昔物語集』
苦本 (くぼ) 『新猿楽記』
【男性器名】 よみがな 書籍
男茎 『古語拾遺』
陰、玉茎 『和名類聚抄』
麻良 (まら) 『楊氏漢語抄』
破前 (はぜ) 『新猿楽記』
麻裸、破勢 『鉄槌伝』
Mara (まら) 『日葡辞書』

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